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昭和37年ブログ

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札幌オリンピックの金銀銅独占

オリンピック見てますか?
37生がオリンピックに目覚めたのは47/'72年、小学4年生の時ではないでしょうか?
当時はまだ夏季と冬季のオリンピックが同一年度に行われており、この年は文字通りオリンピックイヤー。
2月3日に札幌オリンピック、8月26日にミュンヘンオリンピックが開幕しています。

その前のオリンピック(冬はグルノーブル、夏はメキシコシティ)も、年齢的に少しは覚えていてもいいはずなのですが、小学1年くらいだとあまりスポーツには興味がなかったのでしょうか、まったく記憶にありません。
アニメだったら5歳くらいのものでもよーく覚えているのに、不思議なものです。

というわけで、今回はアルベールビル大会開催記念ということで、札幌冬季オリンピックを思い出してみましょうか。

さて、37生にとって札幌オリンピックといえば、ジャンプなのです。
というか当時の全国民的に、ジャンプです。
もう何たって日本選手は、これしかいいところがなかったわけで、すべてはここに始まり、ここに終わるみたいな感じでした。
そうそれが、笠谷、今野、青地、三選手による、伝説の「金銀銅独占」であります。

今だと、ラージヒル、ノーマルヒルというのですが、当時は90m級、70m級。
この70m級の方で、それまでの冬季オリンピック全部ひっくるめて、銀メダル一つしかとったことのない(猪谷千春・'56コルティナダンペッツォ大会・アルペンスキー男子回転)日本が、表彰台を独占してしまったのです。

わたしこの時の70m級決勝、ライブで観ておりました。ということは日曜日だったんですかね?あるいは建国記念日か?
日本の3選手は先に飛び終わり、あとは外国選手が飛ぶたびに、アナウンサーが、「ニッポン、金銀銅独占なるか」と興奮気味に繰り返していたのをよく覚えています。

この快挙は、もちろん選手が(特に笠谷)世界のトップクラスだったこともありますが、できたばかりの宮の森シャンテで、徹底的にジャンプ台の特徴をつかんだ、地の利の勝利でもあったようです。

あの頃のジャンプは今と違って、ジャンプ台を滑り降りていく時は、手を顔の前で拝むようなポーズをしていましたね。おそらくその方が空気抵抗がないという判断だったのでしょう。
それと飛形も、今のようにV字になると減点で、両足がきれいにそろっているのが正しいとされていました。
当時の小学生達は、みんなこれをまねて、滑り台でジャンプごっこをして遊んだものですね。

さて、70m級の快挙で、一挙に90m級への期待が高まったのはいうまでもありませんが、こちらはまったくメダルに届かず、惨敗してしまいます。
天候が荒れてコンディションが悪かったのが原因ですが、精神力の勝負みたいな状況では、日本選手は弱かったのだといわれています。
このあたり、抱えている課題は今でも変わらないのでしょうか?

でも、考えてみるとジャンプってすごいですよね。
多くの日本人にとって、ジャンプという競技自体、札幌で初めて見たようなもので、(少なくともわたしはそうでした)
正直、子供心には、なんちゅうむちゃくちゃなことをやるんだと、感心したのでした。
それまでスキーというのは滑るもので、飛ぶものではなかったわけで・・・
・・・・・・・それがあんなに飛行距離があるんですよ。
初めて見た時の感想は「う、うそだろ」・・・・・・でした。
他にもボブスレーとか、バイアスロンとか、へぇ、冬のスポーツっていうのはいろいろあるんだと、教えてもらったオリンピックでもありました。

というわけで、この時の感動はその後長く尾を引いて、日の丸飛行隊として、日本はジャンプ競技で名選手を輩出するようになります。
八木、原田、船木・・・・彼らの存在も、この時快挙があってこそなのですね。

最近はぱっとしないんだけど、もう一度盛り返してほしいねぇ。
・・・・・(終わり)・・・・・
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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/02/15(水) 08:10:34|
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1972札幌

今日、数十年ぶりに札幌オリンピックのDVDを見ました。あの頃の純朴な札幌市民の姿が、今より遙かに平和だった世界中の人々の姿がとっても懐かしく、
とりとめのない街の姿や通行人なのに胸が熱くなりました。今札幌の30年40年まえの姿を克明に記憶している人はそんなにいません。たとえば現在のドンキホーテは過去サンデパートであったとか、TOTOのショウルームがあるところには喫茶桃山という気品あるラウンジがあったとか。僕は多分それらを知っている数少ない部類の人でしょう。札幌の現在の発展はほぼこの時、つまりオリンピックの開催に備えての都市開発が出発地点になってます。それまでは
とても都市とは言えないただの田舎町でした。当時東京から来た人たちは札幌
の人はかわいそうだ、自分にはここでは生活できないと思っていたそうです。
それがオリンピックの開催と同時に街は一変しました、正に北の都を実現しました。以降札幌は東京の住みたい街アンケートで、国内で最も住みたい街の上位にランクされるようになった訳です。
オリンピック開催中の札幌市街は正に国際都市でした、以降今でさえあれだけの外国人が町中に溢れたときは有りません。当時中学生の僕たちは毎日街に繰り出し外国人を見つけては、What Time is it now? を毎日何十回も問いかけていました。当時は外国人を一度も見たことがない人も随分いたと思いますし、おじいちゃんおばあちゃんは戦後外人を見るのは久々だった事でしょう。
また、世界中のオシャレやファッションにも多くの日本人は目覚めた時では無いでしょうか?実際これ以降国内で札幌はオシャレ発信基地と評されるようになっています。オリンピック前と後では人の姿がこれも一変しました、恐らくは東京より格好良い人が札幌には溢れていたと思います。パルコはその中でも登竜門でした、ファッション雑誌をそのまま身にまとった様な人以外いませんでした。因みに丸井や三越には当時下駄やジャージで入って行く人も普通でした。
何と言っても地下街や4プラやはじめ沢山のファッションビルが乱立し、街中が
華やぎました。私は札幌に住んでいますと言えば、羨ましいと返されるようになったのも全ては、オリンピックが起点になります。思い返せば以降30年ばかりこれだけオリンピックの恩恵を受け続けた開催地は前例が無いとさえ思います
1972年の地下鉄開通時その改札機は自動でした!切符を切る人はいなかったです。この自動改札機は以降20年以上も経ってやっと東京で始まり全国に普及しました。まだまだたくさんありますが、まさに1972年の札幌は日本の未来都市の姿だったのです。
最後に。今日見たDVDには中学生の僕が聖火ランナーとして大通り公園に到着する姿が映画っているはずでした、しかし以降編集されたのでしょう、その姿は小さくほんの3秒ほどの一片に変わってました。残念!
  1. URL |
  2. 2008/11/13(木) 18:01:25 |
  3. 緒方勝之 #-
  4. [ 編集]

ありがとうございます

緒方様、感動的な文章でした。
東京もまた、オリンピックで変った街であるのですが、私たちには、ちょっと話が古くて、実感できないわけです。
そうですか、札幌はそんなに変ったのですか。
いつまでもおしゃれな街であって欲しいものです。
  1. URL |
  2. 2008/11/13(木) 18:39:39 |
  3. ひこてる #vTTYl63Y
  4. [ 編集]

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昭和37年4月25日生まれ

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