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昭和37年ブログ

昭和37年生の、昭和37年生による、昭和37年生のためのブログ

夏休みの高校野球

子供の頃の夏休み、高校野球は今よりはるかに盛り上がっておりました。
特に用事のないときなんか、第一試合から第四試合までずっと見ていたこともありましたっけ。

当時私の住んでいた県は、伝統的に高校野球が弱く(今でも弱いぞorz)、だいたい一回戦負けでしたから、二回戦からは適当に目についた学校をごひいきにしたものです。
よく応援したのは高知高校。
きっかけは覚えていないのですが、あの頃は強くてよく上位に進出していましたっけ。いまだ高知県に足を踏み入れたことのないわたしですが、このとき以来大変親近感を持っております。

さて、そんな小学校の夏休みですが、ある年(正確には45/'70年)わたしはテレビで画期的な応援を目にします。
PL学園の人文字ですね。
ここの学校が甲子園に初お目見えしたのは37/'62年、私たちの生まれた年なんですが、その時はまだ単にPの字だったそうです。45年は2度目の夏の甲子園でした。
(春には40年代前半にぽつぽつ出ていたようですが、37生の記憶としてはこれが最初)

高校野球には近江兄弟社高校とか聖心ウルスラ、あるいは新潟明訓、日本航空なんて、時々とてつもない名前の学校が出てくるのですが、PLの衝撃にはかないません。
だってアルファベットなんですよ、しかもそれが、アルプススタンドに浮かび上がってるんですよ。
小学生のわたしは、あまりのインパクトに、目が釘付けでしたね。
しかもこの人文字、甲子園に出てくる度にグレードアップしていていくのです。
最初は帽子の色でPLの字を浮かび上がらせているだけだったのが、そのうちカラーボードを使って「打て」とか「ホームラン」なんて文字が出たり、白鳥が泳いだり、ものすごいエンターテーメントでした。

何事に対しても,時代ごとのレベルというものがあると思うわけですが、PLの応援というのは、はるかにそれを超えていました。
素人としてはもちろん、あれは当時のプロ以上(そんなものがあればの話だけど)だったと,そう思います。

他にも、バッターボックスに立つたびにお守りを触る仕草とか、試合後のインタビューで,監督が「教祖様の教え云々」のコメントをしたりとか、異質な香りを漂わせつつ、すっかりこの学校は全国区になっていくのです。

しかし昔も今もPLは強かった、卒業生でもないのにPLの校歌が歌える日本人は多いはずですよね。PL学園とーこしえーにー♪
・・・・・(つづく)・・・・・
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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/02/06(月) 07:37:59|
  2. あの日の出来事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

-----何事に対しても、時代ごとのレベルというものがあると思うわけですが-----とてもカッコイイ世界観の表現ですね!(感心するところが違っててスミマセン、ナンシー関を想い出してグッときたもので・・・)
  1. URL |
  2. 2008/06/09(月) 05:43:15 |
  3. アーム筆入れ #-
  4. [ 編集]

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