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昭和37年ブログ

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欽ドン(ラジオ)

ラジオを聞き始めたのはいつですか?
わたしは小学5年です。きっかけはニッポン放送の「欽ちゃんのドンといってみよう」
いわずと知れた萩本欽一の大番組「欽ちゃんのドンとやってみよう」の元番組です。

テレビの番組はあまりに有名ですが、ラジオの方は当時、一部のカルト的人気に支えられた番組だったように思います。
ですから「欽ドン」と聞いたときに「いってみよう」と続けるのか、「やってみよう」と思い浮かべるのかで、その人の欽ドン体験がわかるわけです。

ラジオの欽ドンは47/'72年~54/'79年、前述のニッポン放送で流されていた番組です。
関東ローカルだったのか、他局にも流れていたのか、ちょっとわかりません。
(今検索してみたら、自分の地方はナイターの延長で、はがきを読まれたことを友達に気づいてもらえなかった、という話が出てきたので、全国放送だったのですね。)
37生、小4から高2の間のことです。

わたしは5年生のときに、友達から教えてもらって聞き始めました。いや面白かった。
夜中に自分の部屋でゲラゲラ笑ってました。

リスナー(当時は聴取者といいましたね)の投稿したギャグを紹介する形式で、日替わりでテーマが決まっていました。
覚えているのは「レコード大作戦」と「帰ってきた馬鹿」
前者はギャグの落ちをレコードの一節で決めるというもの、後者は、○○を○○している馬鹿、みたいな書き方でいろんな馬鹿を投稿するパターンでした。

はがきの内容もいくつか覚えていますが、今聞いてもどうということはないです。
ただあの時は新鮮だったし面白かった。
はがきの内容もさることながら、欽ちゃんがそれらを読むそばで、パジャマ党という謎の集団が笑っていたり、リスナーやスタッフをまでネタにして、楽屋落ちを共有してしまうというのは(勝田の馬鹿とか、ボテ腹しゅんじとか・・)画期的なことだったのです。

そうそう、パジャマ党。あれはどういう人なのかと、子供心に不思議に思っていたのですが、じつは欽ちゃんの構成作家集団だったのですね。
なんか欽ちゃんのところに居候して、馬鹿をやりながら暮らしている人々みたいな印象でしたね。

ともかくも当時の小学生にとっては、欽ドンではがきが読まれるというのは結構なステータスでした。
直接関係ありませんが37生が中1の時に朝日新聞に連載された、「偽原始人」という井上ひさしの小説にも、主人公がこの番組に投稿して、ちょっとした学校のヒーローになる場面が出てきます。
大人にはあまり知られませんでしたが、それなりにこの番組は、この当時のトレンドであったわけです。

やがて番組は、本を出したり、スペシャルのテレビ版を放送したりしながら、フジテレビのオバケ番組へと成長していくのですが、それはまたいつか書きます。
・・・・・(つづく)・・・・・
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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/01/28(土) 09:17:17|
  2. テレビ・ラジオ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

欽ドン、聴いてました。東芝のアクタスFUで。当時はラジカセにも夢中でカタログ読み込んでました。友達のナショナル マック(マイクが外せてワイヤレスマイクになる)が羨ましかったです。で欽ドン、ハガキ読まれたんですよ!「親分と子分の会話」で。ニッポン放送のボールペンとロード賞と書かれたシールが送られてきて、学校持ってて自慢しまくった想い出があります。この時間帯では「エミコの長いつきあい」も好きでした。何とく愛して~ってテーマ曲、今でも口ずさんじゃいます。あと(オリベッティタイプライター赤と黒)のコマーシャルが何故だかとても怖かった印象がありますね。
  1. URL |
  2. 2008/06/09(月) 04:29:10 |
  3. アーム筆入れ #-
  4. [ 編集]

それは一生のネタですね。
でもロード賞ってボールペンだったの?
  1. URL |
  2. 2008/06/14(土) 23:14:47 |
  3. ひこてる #vTTYl63Y
  4. [ 編集]

欽ドン聞いてましたよ。欽ドンの投稿コントが最初に本になった時は書店売りではなく、ニッポン放送に確か切手を送ると送られてくるというやり方で、その応募総数がえらい数だったのでちゃんとした本にして書店で売ることにした、と聞いてます。たしかパート5ぐらいまで出したのかな。欽ドンのあとはかぜこうじのたむたむたいむ。これは中学の時投稿が読まれましたけど、興奮しましたね。自分の作品がラジオで読まれ公開放送の時だったのか爆笑されてる。でも読まれたのはこれ一回でしたね。22時からは日立ミュージックインファイフォニック。渋い声のアナウンサーが洋楽を紹介する番組でした。大学の時同級生の父親がそのアナウンサー本人であると知った時は大変驚きました。そいつの家に電話すると時々あのラジオと同じ声で「はい〇〇です」と出てくるのを密かに楽しみにしてました。
  1. URL |
  2. 2008/11/11(火) 17:17:09 |
  3. 昭和51年夏 #-
  4. [ 編集]

ラジオ欽ドン

今ごろ初めまして。
欽ドン掲示板へぜひお越しください。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/rradio/1067348579/l50
  1. URL |
  2. 2013/08/21(水) 23:56:59 |
  3. 籾山幸士 #halAVcVc
  4. [ 編集]

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