昭和37年ブログ

昭和37年生の、昭和37年生による、昭和37年生のためのブログ

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懐かしの歌謡曲(小学校・アイドル編1)

37生の小学校時代を彩ったテーマソングの数々。
それは、アニメソングもフォークソングもあるわけだけれど、やっぱり王道は歌謡曲じゃないでしょうか?

時は小学校一年生。
和田アキ子が最初のヒット曲「どしゃぶりの雨の中で」を出します。そして翌年にはあの「笑って許して」をリリース。

なぜ和田アキ子の話から始めたかといえば、彼女曰く、この「笑って許して」が、日本ではじめて客席から、間の手の入った曲だというのですよ。
♪笑ぁって許してっ (アッコぉ)←ってやつね。

そう、37生入学の頃に、歌い手と聴衆の関係性が徐々に変わっていくのですね。
つまりは歌手のアイドル化、もっと言っちゃうと、歌謡曲のお子様化ですな。
もちろんそれまでもアイドル歌手はいたのでしょうけれど、もう一段近くなったというか、
何だろう、神様から、手の届かないまでも人間に降りて来たというか・・。
とりあえず小学生にも親しめる歌手の登場だったわけです。

まぁ、その先駆けが和田アキ子だというのは、何かなぁとも思いますが・・。
↓なんせこんなだったから





もっともこの年(44/'69年)のレコード大賞が、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」で、
翌年が、菅原洋一「今日でお別れ」だったことを考えれば、
本格的なアイドル時代の到来はもう少し先なのです。

ちなみにこの時期のヒット曲は他に
奥村チヨ「恋の奴隷」 (♪悪い時はどうぞぶってねっ・・てすごい詞ですねぇ、今なら大問題だ)
ピーター「夜と朝の間に」
藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」(宇多田ヒカルが、彼女の娘だと知った時にはぶっ飛びましたねぇ)
ちあきなおみ「四つのお願い」
いしだあゆみ「あなたならどうする」(♪泣くの歩くの死んじゃうの・・これも鮮烈)

などなど・・・・・やっぱりアイドルというには、ちと無理がありますね。

さて、明けて46/'71年、37生が小学3年になると、いよいよ本格的にアイドル時代が幕を開けます。

まずは、にしきのあきら「空に太陽がある限り」
ひたすら♪愛してる~ をくりかえすシンプルな歌詞は、37生のハートをわしづかみだったわけです。
加えて、あの野性的なルックス。
彼はその後ヒットに恵まれませんが、芸能人大運動会では、長く常連の位置を保ち続けます。

そして小柳ルミ子「わたしの城下町」
天地真理「水色の恋」
南沙織「17才」

おぉ本物のアイドルだぁ。
ちなみにこの3人「新三人娘」といわれてたらしいですね。(元祖が誰だかよく知らないけど)

天地真理の、「隣の真理ちゃん」「白雪姫」といったキャッチフレーズ、「ドレミ真理ちゃん」(自転車ね)などの、キャラクター商品・・・・まさに彼女はその後のアイドルの原型だったといえましょう。




しかもあの歌唱力・・・あれでアイドルは歌が下手でも可、という流れも出来たのだと・・・まさにアイドルらしいアイドルといえましょう。
(ほーんと下手だったもんね、もっとも「時間ですよ」で後がまに座った浅田美代子に比べれば・・・以下自粛)、でも可愛かったです。


南沙織は、返還前の沖縄出身(正確には鹿児島生まれの沖縄育ち)ということで、日本人なのに、異国ムードを発散するという、不思議な存在でした。
彼女も可愛かった。あの手のエキゾチックなルックスは、彼女から始まるような気もします。




「シンシア」という愛称は、彼女のクリスチャンネーム。吉田拓郎の「シンシア」は彼女に捧げた曲ですね。
個人的には3人の中で一番好きなんですが、篠山紀信氏と結婚したと聞いた時には・・・・でした。


小柳ルミ子は当初清純イメージだったんですよね。
宝塚音楽学校を主席で卒業ということで、歌唱力は断トツでした。
あんなに波瀾万丈の人だとは、この時の37生は思いもよりません。

↓これはちょっと年をとってから





彼女はその後アイドルというより正統派歌手として活動しますし、当初から落ち着いた雰囲気を醸し出していましたから、えっアイドルだったの?という感慨もあります。
なんだかんだいっても、現在もトップスターであり続けているのは、彼女の真の実力なんでしょうね。

この年のヒット曲は他に
尾崎紀世彦「また逢う日まで」(46/'71年レコード大賞)
五木ひろし「よこはま・たそがれ」
森進一「おふくろさん」(みんなでもの真似してましたねぇ)
欧陽菲菲「雨のエアポート」(この人、先日テレビで見ましたけど、ぜんぜん日本語が上達してないの・・なんか清々しくなりました^^)

なんかがあります。

さてさて、この後、37生の小学校生活後半は、怒濤の勢いでアイドル全盛時代へとなだれ込んでいきますが、それはまた次回書きましょう。
・・・・・(つづく)・・・・・
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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/11/30(木) 10:00:40|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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懐かしの歌謡曲(小学校・フォーク編)

さて、37生が小学校の頃の日本の音楽シーンといいますと、大きくわけて3つの流れがありました。
すなわち演歌系、フォーク系、歌謡曲系ですね。

で、演歌は今に至るまで、ずーと演歌なんですが、フォーク系と歌謡曲系は、時々シンクロしてたわけです。

当時、基本的にファークの人はテレビに出ないってことになっていたので、37生の目にはあまり触れなかったのですが、フォークっぽい歌謡曲ってのはいっぱいありました。
既に熱狂的なグループサウンズブームは去っていて、フォークも泥臭い反戦歌から、美しいメロディーで聞かせる方向へ流れていきます。
やがてそれは、歌謡曲だかフォークだかわからなくなって、ニューミュージックと呼ばれるようになるのですが、それはまだ先の話。

ここでは、ちょこっと大人びていたフォーク(っぽい歌謡曲)を思い出してみましょう。

まずは古いところで44/'69年、37生の小学校入学の年から

「白いブランコ」    ビリー・バンバン ♪君は憶えて~
「風」         シューベルツ   ♪人は誰もただ一人旅に出ぇて~
「ある日突然」     トワ・エ・モア  ♪あ~る日突然、ふたりだま~るの
「フランシーヌの場合」 新谷のり子    ♪3月30日の日曜日~
「白い色は恋人の色」  ベッツィ&クリス ♪は~なびら~の白い色はぁ~

おー、全部歌えるじゃないか。
何か37生とフォーク、相性いいんじゃないですか?

しかし、これも時代なのか、アーティスト名がみんなカタカナですなぁ^^ベッツィ&クリスなんかもろに外人だし・・・。

唯一日本名で気を吐く新谷のり子にしても、ルックスはぜんぜん日本人でないようで・・・。

SINTANI.jpg

えっこんな人だったんだ


♪フランシーヌの場合は、あまりにーもお馬鹿さん・・・っていう詞は、なかなか印象的でしたよね。
でも、これパリで焼身自殺した女学生の歌なんですよ・・・たしか。


続いて2、3年生の頃のヒット

「戦争を知らない子供たち」  ジローズ  ♪戦争が終ってぇ~
「誰もいない海」    トワ・エ・モア  ♪今は、もう秋。誰もいない海

「花嫁」 はしだのりひことクライマックス ♪は~な~嫁は、夜汽車~に乗って
「あの素晴らしい愛をもう一度」 北山修  ♪いの~ちかけてと、誓った日から~
「虹と雪のバラード」  トワ・エ・モア  ♪ぼ~く~ら~は呼ぶ

あぁ何か遠足の歌集みたいだなぁ、意味もなく清々しい気分になるラインナップです。

毎年ヒットを飛ばしていたトワ・エ・モアってすごかったんですねぇ。

(顔がぜんぜん思い浮かばないのですが・・・↓こんな人たちです)

TOWAE.jpg



で、彼らのヒット曲「虹と雪のバラード」は、札幌オリンピックのテーマソングですね。
これがいい歌なんだ・・・。

♪虹の地平をあゆみ出て
  影たちが近づく 手をとりあって
      町ができる 美しい町が
      あふれる旗、叫び、そして唄
  ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
  あの星たちのあいだに眠っている北の空に
      きみの名を呼ぶ オリンピックと


じつは、トワ・エ・モワ以外にも、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、スクールメイツなんかが歌っていた、競作だったんですねぇ。
もちろんセールスは、トワ・エ・モアの一人勝ちだったらしいのですが、
ピンキラ版、「虹と雪のバラード」なんか、ちょっと聞いてみたかった気もします。

さて、小学校後半。
このあたりになると、記憶もしっかりしているので思い入れもより強くなります。

「結婚しようよ」    吉田拓郎    ♪僕の髪ぃがぁ~
「学生街の喫茶店」   ガロ      ♪きっみとよっく、こっの店に

「心の旅」       チューリップ  ♪あ~だから今夜だけは~
「神田川」 南こうせつとかぐや姫    ♪あなたはも~ぉ忘れたかしら
「夢の中へ」      井上陽水    ♪さがしものは何ですか
「母に捧げるバラード」 海援隊     ♪コラッ鉄矢!

「精霊流し」      グレープ    ♪きょ~年の、あ~なたの、お~もいでが

「ガロ」ってのは3人組の男性グループなんだけど、なんか最後のヒッピーみたいな出で立ちで、いかにも怪しかったのを憶えております。一人女性のようなロングヘアーの方がいて、鮮烈な印象を与えてました。
でも「ガロ」は「我朗」、すなわち、我々は男であるというのが、グループ名の由来なんですよ。
そんなことを知っている37生は、わたしだけかもしれません。

そういえば海援隊も、別の意味で怪しい風貌でした。
今では武田鉄矢の髪もすっかり短くなりましたが、出て来た頃は小学生が見ても、ミョーに汚らしかったものです。



やっぱ怪しいね


男の長髪が流行っていた時代の話です。(何しろ、あのさだまさしや、南こうせつも、ふさふさしてましたもん)

さてさて、拓郎や陽水がかたくなにテレビを拒む中、こうせつや海援隊は出まくってましたが、思えばこのあたりが、フォークの分岐点だったのかもしれません。
まぁしかし、こうせつにしても、おおっぴらに露出するようになるのは、もう少し後なのですが・・・・。

フォークに思い入れのあるのは、37生のなかでも、ちょっとおませさんか、年長の兄姉に影響された人が多いかもしれませんね。
37生全体がもっとベタにはまった、いわゆる「歌謡曲」については、次回に書いてみます。

・・・・・(つづく)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/11/25(土) 08:06:42|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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懐かしの歌謡曲(小学校以前)

歌は世につれ、世は歌につれ。
こんにちは、玉置宏ではなく、管理人のひこてるです。

えーと皆さん、唐突ですが最初に覚えた歌謡曲って何ですか?
生まれながらのテレビっ子である37生は、物心つく前から、数々の歌謡曲にさらされて育ってまいりました。当然数多くの楽曲をものにしていたわけです。

しかし「はじめての」というと、難しいですね。
時代は、ピンクレディーの登場するはるかに昔。
「歌謡曲」は、まだまだ大人向けのものが多く、ちょっと遠い世界でした。
愛やら恋やらに夢中になるのは、もっと先のことです。

もちろん歌自体は幼稚園に入る前に、なにか口ずさんでいたはずなんですよ。
ただし、♪ガボテン、ガボッテンガボッテンの「ガボテン島」だの、♪バンババンボバ、ババンババンボバの「狼少年ケン」といった、マンガの主題歌。
あるいは「おはよう子供ショー」の「ロバ君の歌」(♪そんでもってカッコいいねぇ・・・)だとか、まぁそういうものがメインでした。

それでも、ませている37生のこと、4、5歳の時には何かしらの歌謡曲を覚えていたはずです。
記憶が定かでないのですが、いろいろ調べてみて、37生がリアルタイムで聞いて覚えた歌謡曲を探ってみると、

例えば37生4歳の時(41'/66年)は

「バラが咲いた」 マイク真木
「こまっちゃうナ」 山本リンダ
「思い出の渚」 ザ・ワイルド・ワンズ
「ラブユー東京」 黒沢明とロス・プリモス
「お嫁においで」 加山雄三

などなど名曲の数々がリリースされております。

うん、♪こまっちゃーうなーぁっていうフレーズは歌った覚えがあるぞ。
「バラが咲いた」は、簡単な歌詞だったから、すぐに覚えられた気もするし
♪らぶゆー、らぁぶゆーなんて意味もわからず叫んでいたような・・・。

しかしリアルタイムかというと自信がないのですよ。
「思い出の渚」なんか、はるかに後に「ハンダース」の物まねで覚えたし・・・。

つづく5歳の年(42/'67年)は

「ブルー・シャトー」 ジャッキー吉川とブルーコメッツ
「小指の思い出」 伊東ゆかり
「世界は二人のために」 佐良直美
「真っ赤な太陽」 美空ひばり

おぉ、このあたりになると、確かにリアルタイムで聞いた記憶があるぞ。
♪森トンカツの、替え歌はあまりに有名ですし
♪あなたが噛んだ小指がぁ痛い・・・大人は何で小指を噛むのかと、いや、今でもよくわかりませんがね・・とにかく鮮烈なイメージだった。
「真っ赤な太陽」なんか美空ひばりがミニスカートはいてましたもん。いや本当に。(だから曲を覚えたかというと、まぁわからんのですが)
hibari.jpg



で、幼稚園年長だった翌43/'68年

「グット・ナイト・ベイビー」 キングトーンズ
「ブルー・ライト・ヨコハマ」 いしだあゆみ
「伊勢崎町ブルース」 青江三奈

このへんは、全部歌えないまでも、印象的なフレーズが確かに心に残ってますね。
♪グンナーイ、グナーイベービーはぜったい歌ってました、♪涙こらえて、の先はわからなかったけど・・。
♪街の灯りがぁ、と鼻声のいしだあゆみ、歌手だったんですねぇ。
「伊勢崎町ブルース」にいたっては喘ぎ声しか覚えてません・・・^^

そして同じ年に間違えなく最初から最後までそらで歌えた曲が登場します。

「恋の季節」 ピンキーとキラーズ
「三百六十五歩のマーチ」 水前寺清子

はい、歌っていたでしょ♪わっすれられないのぉ・・・・と♪人生はワンツーパンチ

特にピンキラは、斬新なパンタロンルックで、お子様アピールという点では、絶大なものがありましたね。



あと、一日一歩で、三歩進んで二歩下がると、結局三日で一歩しか進まんじゃないかと、そんなこと思いませんでした?・・わたしだけですか。

さて、わたし個人としては最初に覚えた歌謡曲は・・・・・。
「帰って来たヨッパライ」 ザ・フォーク・クルセダーズ (42/'67年)なんですね。
コミックソングの先駆けみたいな曲でしたが、
当時、親父と出かけた食堂にジュークボックスがありまして、3回連続でこの曲をかけさせて、ひんしゅくを買った記憶があります。

早送りのボーカル、神様の台詞に、ラストの読経まで、実に時代の先端をいくユニークな曲であったと思いますねぇ。
♪天国よいとこ一度はおいで、酒は旨いしネェちゃんはきれいだ・・・
今でも全部歌えます。



もちろん皆さんそれぞれ最初に覚えた歌謡曲は違うと思いますが、ちょこっと思い出してみるのも楽しいんじゃないでしょうか。
・・・・・(つづく)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/11/16(木) 10:01:36|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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超能力少年の登場

K田少年、逮捕されちゃいましたねぇ。
といってピンと来るあなた、40過ぎてますね?^^
ていうか、彼も37生らしいですな、まっ人生もいろいろだわなぁ。

というわけで、知らない人のためにちょっと復習を
49/'74年、37生小学校最後の年、世に言う「超能力ブーム」がおきたのです。
かのユリ・ゲラーが来日して、特番に出演、一挙に火がつきます。
この日の木曜スペシャル、私も、家族そろって見てましたねぇ。司会は大橋巨泉だったっけな。
確かこの時は、スプーン曲げ(最後には折っちゃったと思う)と、缶詰の中に入れた鍵を見つける透視をやったように記憶しています。

でね、スプーン一本曲げるのに、むちゃくちゃ時間かけるんですよ。
記憶が正しければ、2時間のうちに1本しか曲げなかったですからねぇ。
まぁ当時はそれでも大センセーションだったわけです。

で、この時、実は日本側でも超能力者を発見しましたよ、と日テレがつれて来たのが、小学5年生だったS口少年ですね。
あの後ろ向きにしゃがんで、スプーンを放り投げる子、おぼえてますか?
なんでも両者を共演させようという話もあったらしいのですが、S口少年があんまりびゅんびゅん曲げるんで、ユリ・ゲラーの方が気分を害してその話はポシャったということです。
(まぁこれは当時隠れて読んだ、オヤジの週刊誌に書いてあったことなので、真偽のほどは明らかではありません)

さて、さらにこの放送を見て、僕にだって出来るよと、スプーンを曲げてみせたもう一人の小学生が、K田少年なんですねぇ。(いや、説明が長いね)
彼もほどなくテレビ出演を果たし、一躍時の人となるんです。

とにかく37生なら、当時一度はスプーン曲げに挑戦したことがあるわけですが(断定)
つい力んで、体力で曲げてしまった経験者、たくさんいらっしゃることと思います。
あと件の特番の最後、ユリ・ゲラーが、スタジオからお茶の間に向けて念を送った際、テレビの前で時計を握りしめて、振り回したあげく、針が30秒くらい動いた人も・・・いっぱいいるよねぇ。

実際冷静になれば、超能力などないということは、すぐにわかることなんですが、
「昨日うちの時計が動いた」とか「僕のいとこがスプーンを曲げた」なんて話は、あの頃の教室には、あふれかえっておりました。
まぁ、その波に乗って人生狂わしちゃったんですね、K田少年。
(ちなみにS口少年もいろいろあってやっぱり捕まったりしてます。どっちの時もスポーツ新聞には、超能力で鉄格子を曲げる云々のネタが出てましたけど、ちょっと悲しいなぁ)

ユリ・ゲラーだけは、何度インチキを暴かれようと不死鳥のようによみがえり、(最近もCMに出てましたけど)今はイギリスで、けっこういい暮らしをしているようです。



なんとCDなんか出してるらしいですよ・・・・・。

たった一度のテレビ放送で、日本中がここまで熱狂してしまう・・・
やっぱり時代というものでしょうか。

・・・・・(おわり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/11/10(金) 11:27:18|
  2. あの日の出来事
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曜日代わりのスペシャルたち 2

前回は「木曜スペシャル」の話でしたね。
で、今回は「水曜スペシャル」
51/'76年開始ですから、37生はもう中学です。

日テレの木曜スペシャルが「鳥人間コンテスト」や「アメリカ横断ウルトラクイズ」そして前回話題にした「矢追純一UFOシリーズ」などなど、多彩な企画を繰り出して来たのに対して、この放送枠は残念ながら、あんまり目玉になるような番組を生み出せませんでした。

おい、テレ朝しっかりしろよって話なんですが、そんな中で唯一気を吐いた企画がありました。
それが「川口浩探検隊シリーズ」ですね。




今でこそ、テレビにおける「やらせ」は問題視されますが、37生が子供の頃は、とりあえずテレビでやってることはみんな真実でした。
で、プロレスはどうしていつも日本人が勝つのか?とか、放送時間きっかりに試合が収まるのは何でだ?などという疑問は、触れてはいけないこととして、タブー視されていたんです・・・・たぶん。

しかし、37生もだんだん大人になる、
どうも世の中そんなに単純じゃないらしい、いろんなことに気がつく、まさにその頃始まった、「川口探検隊」なのです。
なにしろ、「え、いくらなんでもそれはないだろう」感を、プンプンと漂わせ、放送するたびに、テレビに対する不信感を増長させていったのですから、ある意味画期的でしたね。

第一回は'78年
「20世紀の奇跡を見た!!人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに実在した!!」
というタイトルですが、
この頃はまだ良心的だった(というか、見る方の37生がピュアだった)ように思います。

しかし、その後回を重ねるごとに、違和感はパワーアッブ。

「驚異の人食いワニ・ブラックポロサスを追え!恐怖の毒蛇タイパン狩り!2億年の恐竜は存在した」('78/6/28)
「緊急特報!パラオ島奥地に生き残り日本兵を追え!!」 ('79/2/14)
「姥捨て!八丈島日本最長の溶岩大洞窟に人捨て穴は実在した!!」('80/2/13)
「巨大怪蛇ナーク!!タイ秘境底なし沼に恐怖の魔人は実在した!!」('80/7/30)
「巨大怪奇地底都市!!美少女ミイラ発見!トルコ秘境に幻の黄金宮殿の謎を追え!!」('81/10/7)
「密林の王者ターザンは実在した!」!('81/11/11)・・・etc etc

もう、読んでるだけでくらくらしてきます。
最後はターザンですよ、ターザン・・・orz

私もいくつかは覚えていますが、例えば「トルコのまぼろしの黄金宮殿」の回は
例のカッパトギア遺跡に、カメラを持ち込んで地下に潜って行くという、けっこう力のはいった企画なんです。
が、普通にドキュメンタリーにすればいいものを、中に黄金の部屋があるなんて、わけのわからないことをいい出すのですよ。

で、ひっぱってひっぱって、最後の15秒。
一番底の小部屋の石の扉を開けると、そこに金色に輝く部屋があるのです。
わたし(もう高校生でしたが)一瞬身を乗り出しましたよ、だって本当なら世紀の大発見ですからね・・・。
しかしカメラが切り替わると、もう黄金の部屋は映ることなく、あれだけひっぱっていたにもかかわらず、「幻の黄金宮殿は実在した!!」のナレーションとともに、番組はそそくさと終了してしまうという不思議。

その後「黄金の部屋」は報道されることも、トルコ観光局のパンフに載ることもなく、今にいたっております。

思うにあの日15秒だけ映った黄金の部屋は、世界遺産(まぁ当時はなかったけど)に、金のスプレーを吹き付けた、むちゃくちゃなやらせなんですね。
今だったら、プロデューサーの首が飛ぶ、下手すりゃ国際問題ですけどね。

やがてあの有名な嘉門達夫「ゆけ!ゆけ!川口浩」('84)の歌が発売され、このシリーズは、国民的な「ネタ」として定着するのでありました。
いや本当に今となっては懐かしい・・・・再放送しないかしらん
・・・・・(おわり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/11/01(水) 08:45:59|
  2. テレビ・ラジオ
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  4. | コメント:2

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