昭和37年ブログ

昭和37年生の、昭和37年生による、昭和37年生のためのブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

いわゆるひとつの長嶋引退

長嶋の引退試合はは49/'74年10月14日。37生の小学6年生の時です。

対中日のダブルヘッダー、私はテレビで第一試合から観ていた記憶があるのですが、この日は月曜日です。
ということは学校に行っていたはずなのだけれど、なぜか第一試合が終わったあとに,スタンドを歩いて回りながら、外野の客に挨拶している長嶋を覚えています。
うーん急いで帰ってくれば間に合ったのかな?
いや、そもそも私の記憶じゃ、あれは試合中の出来事だったんだけれど、いくらなんでもそれはないよなぁ。

とにかく、アンチ巨人だった我が家でも、この日の試合はしっかり観ていたのです。

そして第二試合終了後、マウンド上で、あのあまりに有名な挨拶があったのですね。
ちょっと検証してみましょう。




昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために絶大なるご支援をいただきまして誠にありがとうございました。

いきなり巨人と、長嶋は同格であります。さすがミスター・ジャイアンツ!


皆さまから頂戴いたしましたご支援、熱烈なる応援をいただきまして、今日まで私なりの野球生活を続けて参りました。

ここでちょっと文章が変になりますが、まぁしかたないですね


今ここに自らの体力の限界を知るにいたり、引退を決意いたしました。

流行ったねぇ、このフレーズ。今でも体力の限界を理由にやめるスポーツ選手は数多いですが、これが原点ですよね。ちなみにここで客席から、大声で「まだやれるぞ」と叫んだ客がいるのを、なぜだかよく覚えています。


振り返りますれば、17年間にわたる現役生活、いろいろなことがございました。その試合をひとつひとつ思い起こします時に、好調時は、皆様の激しい大きな拍手をこの背番号3をさらに闘志をかきたててくれ、また不調の時、皆様の温かいご声援の数々の一つに支えられまして、今日まで支えられてきました。

うーんまた「てにをは」とか変だよぉ


不運にも、我が巨人軍はV10を目ざし監督以下選手一丸となり、死力を尽くして最後の最後までベストを尽くし戦いましたが、力ここに及ばず、10連覇の夢は破れ去りました。

この二日前に巨人は優勝を逃し、長嶋は引退表明をしたのですねぇ


私は今日引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です。

なぜ永遠でなく永久だったのか、いろいろ議論の別れるところですが、これも名文句です。そしてやっぱり長嶋と巨人は等価値ですね。すばらしい。


今後、微力ではありますが、巨人軍の新しい歴史の発展のために、栄光ある巨人が明日の勝利のために、今日まで皆さまがたからいただいたご支援、ご声援を糧としまして、さらに前進して行く覚悟でございます。長い間、皆さん、本当にありがとうございました。

ほとんどの日本人は、前段の「永久に不滅」で話が終わったと信じていますが、実は付け足しで、今度は巨人の監督やるぜいと、宣言してたりするのです。


じっくり検証したい方はこちら





37生にとって、長嶋茂雄は巨人の名選手としての記憶もあるのですが、どちらかといえば、それは晩年のものです。

もちろん小さいときから野球に目覚めていた一部にとっては、彼はヒーローそのものであったでしょうが、多くの37生には監督としてのイメージの方が強いのではないでしょうか。

それまでの長嶋は、37生のなかでは、実在の選手というより、むしろ巨人の星に出てくる有名選手、そんな気がします。(うちだけかなぁ、何しろアンチだったから・・)

実は当時ヒーローインタビューのようなものはまだ一般的ではなくて、長嶋の肉声というのを、みんなほとんど聞いたことがなかったんですね。(それにあの頃の巨人の選手って、オロナミンCのコマーシャルにしか出てなかったし)
で、長嶋茂雄が実はあんなに大ボケで面白いおじさんだということは、この頃は誰も知らず、事実は、その後ゆっくりと時間をかけて、世間に知れ渡るわけです。(個人的には、引退直後にスーツかなんかのコマーシャルで、彼があの長嶋節を聞かせたあたりからかな・・・・、え?え?って感じでしたね)

長嶋引退の日は、新たな長嶋伝説の始まりの日でもあったのでした。
・・・・・(終わり)・・・・・
スポンサーサイト

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/05/27(土) 14:57:15|
  2. あの日の出来事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

10段変速が欲しかった

知っている方は教えていただきたいのですが、自転車のことをチュリンコというのは、どこかの方言ですか?
今はこの言い方けっこう全国区ですが、私が子供の頃はいいませんでしたねぇ。
はじめて聞いた時は、なんて田舎臭いものの言い方だと、あきれた記憶があるんですが・・・。

というわけで今日は自転車の話。

37生の子供の頃は、まだあの無骨な「そば屋の出前自転車」が現役だったわけです。
荷台がごっつくて、座るとお尻の痛くなるヤツですね。
ブレーキもワイヤーではなくて鉄の棒でつないであったっけ。(これが固いんだ)
で、ものすごく丈夫で、ものすごく重い車体は、とてもじゃないけど子供には扱えない代物でした。

とりあえずこんなヤツ
まだ三角乗りなんて言葉が生きていた時代ですね。

大人用の自転車がそんなですから、子供用といってもおしてて知るべし、まぁたいしたことはなかったわけです。

しかし、昭和40年代に入ると、この無味乾燥な自転車にも、いくつかの革命が起こってまいります。
様々の種類の車種が出て、自転車界も華やいでくるのです。
たとえばミニサイクル。後のママチャリのハシリですが、これはなかなかおしゃれなイメージだった。・・・そういえば3輪自転車なんてのもありましたね。

しかし、特に男の子達の心をとらえたのが「サイクリング車」ってやつです。
ぐっと前傾姿勢で,変速ギアがついてるんだなぁ。

とくにこれ。
45/'70年、小学2年生の頃に発売になった電気フラッシャー付き自転車であります。
これが意味もなくちかちかして、かっこ良かったねぇ。
確か単一電池を何本も入れているですよ。あっという間にバッテリー切れなんです・・・・。

クラスでもこんなのに乗っていたのは一人くらいでしたけれど、多分当時、これに憧れて手に入れられなかった少年達が、後年デコトラとかに走ったんだな。
うん、間違いない。

その後、男の子の自転車は、15段変速だのドロップハンドルなんかをへて進化、37生の中に、一部熱心なサイクリスト達を生んでいくのですが、原点はあのちかちかなんじゃないでしょうか?

なんでも豪華に、ごてごてしていく時代,かっこよさは、キッチュと背中合わせだったのです。
・・・・・(終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/05/23(火) 08:38:35|
  2. 流行り・アイテム編
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

必殺技合戦(星と侍)

今更わたしが語るのもおこがましいんてですが、
やっぱり必殺技の宝庫といえば野球もの。
そして野球ものといえば名作「巨人の星」(43/'68年~)は外せないでしょう、というか頂点ですよね。

どんな打者をも、内野フライに打ち取る大リーグボール1号。
「消える魔球」の異名を持つ2号。
そして、なんとバットを避ける究極の魔球3号。
もう、無敵以外の何者でもありません。

実際作中でも、花形や左門、オズマといった、宿命のライバル達以外は、かすりもしないわけで、年間30勝は堅い魔球です。
ところが1号なら27球、2号は81球でパーフェクトがとれる計算ですが、飛雄馬がこれに挑戦したのは,もっとも球数が必要な3号なんですね、(しかもそのあげく再起不能になる)
それまで何で挑戦しなかったんでしょうか?

まぁ,その他様々な突っ込みどころは目をつぶるとして、
3年以上続いたこの作品を通して、正しい必殺技のありようみたいなものが、われわれの脳裏に深く刻まれたといっても、過言ではないでしょう。

ところで37生諸君、同じ野球物語で、ストーリーの奥深さは別にしても、単純に必殺技だけを比べるのならば、これに対抗しうる作品がもうひとつありますよね。

そうそれが「侍ジャイアンツ」(48/'73年~)だぁ。

土佐の漁師の息子、番場蛮が「でっかいものは大嫌いだぁ」「俺は巨人に入って内側から腹を破る」と、わけのわからんことを言って、結局巨人を優勝させてしまうという、豪快な?話です。

原作が一緒(梶原一騎)なので、設定が「巨人の星」と似ているのはしかたないのですが、こちらもまた壮絶な魔球のオンパレードでした。
星飛雄馬が致命的な軽い球質を補うために、魔球に走ったように、
番場蛮は致命的なノーコンを補うために魔球に手を染めるのですねぇ。

球質という考え方は、今では否定されていますし、普通に投げてノーコンなのに,魔球でコントロールがつくとも思えないのですが、それを言っちゃうと話が先に進みません。
とりあえず「消える魔球」は投げられないことを悟った37生は、今度はテニスボールを使って「分身魔球」に挑戦したものです。(ほーら君もやっただろう?)
まぁ、なんというか、いい時代でした。

さて楽しいのは、星の大リーグボールが何とか合理的説明を付けようとしていることにたいして、番場の魔球は理屈は二の次、体力勝負なことです。

例えば「ハイジャンプ魔球」というのは,要するに上から投げた方が勢いがいいだろうということで、マウンドで4mくらい飛び跳ねて、投げ下ろす豪速球です。
そんなにジャンプ力があるなら、オリンピックに出なさいとか、どう考えてもボークだろうとか、そういうことを言ってはいけないのですね。
(さらに威力を出すための、エビ投げハイジャンプというのもありました。これなんか空中でエビぞります。普通に考えて反動つけてる間に落下しますけどね)

ところでこの作品、魔球も魔球なら、バッターによる打倒策もこれまた体力頼みでした。
前述のハイジャンプ魔球なんぞ、神社の階段上から弓で矢を射って、それを打ち返すなんていう特訓で、対抗していましたね。
速い球を投げるのならば、速いものに慣れればいいのだろうという、もっともというか、どうしようもない論理です。

最終的には、番場のジャンプにあわせて、バッターも飛び上がり、球筋を見切るという、なんでそれで,打倒できるの?という、よくわからない方法で打たれてしまうのですが、まさに体力対体力ですな。

そうそう、第2の魔球「大回転魔球」もすごいですよぉ、ぐるぐる回って球の出所がわからない上に、これまた反動でものすごい豪速球が投げられると・・。
もはや解説はしませんが、これまたハイジャンプと同様に、ぐるぐる回って打つという、理解不能な打倒策が出てきたりしてました。

第3の分身魔球になって、ようやく魔球らしくなるのですが、これとて、ボールを皿状に握りつぶして、重心をずらして投げるという、体育系?な技です。
最終回なんか、三つの魔球を全部ミックスして投げちゃうという禁断の設定で、下手すると死にますよ、ほんとに。
(実際連載マンガ版では、番場蛮、マウンド上で絶命してます・・・・合掌)

いやまぁめちゃくちゃなんですが、これはこれで潔い作品で,私は好きでしたよ。
関東地区では「巨人の星」が圧倒的にメジャーで、再放送も多かったのですが、調べてみると、どうやら関西では「侍ジャイアンツ」もけっこう再放送されて、人気も高かったらしいです。
ラテン系だもんなぁ、番場蛮。
関西人の心に響くものがあるんだろうな、きっと。

というわけでこちらの必殺技対決は,キャラクター明るい分「侍ジャイアンツ」の勝ち
・・・・・(つづく)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/05/10(水) 16:15:06|
  2. テレビ・ラジオ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

管理人

ひこてる

ひこてる

昭和37年4月25日生まれ

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

名作シネマ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。