昭和37年ブログ

昭和37年生の、昭和37年生による、昭和37年生のためのブログ

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必殺技合戦(VとNO1)

突然ですが、ここでクイズ。
竜巻落とし いなずま落とし 木の葉落とし 仲間はずれはどれ?

答えは、いなずま落とし。
これは「サインはV」ですね。あとのふたつは「アタックNO1」に出てくる技です。
しかしバレー業界は何で"落とし"が好きだったんでしょうか?

「アタックNO1」と「サインはV」は、37生にとって、テレビにおける2大バレーボール作品として記憶されておりますが、元々はどちらもマンガに連載されていた作品ですね。
「アタックNO1」は43/'68年,マーガレットに連載開始。作者は浦野千賀子です。
一方「サインはV」はその翌年からライバル誌フレンドに連載されていました、こちらは望月あきら。(後に「ゆうひが丘の総理大臣」を描いてます、びっくりだぁ)

それがそれぞれ44年と45年からテレビ作品化されます。
マンガと実写の違いはありますが、この2作品によって,東京オリンピック以来の、日本のバレーブームは頂点を迎えたといっていいでしょう。

「サインはV」はその後、坂口良子、さらに最近は上戸彩でリメイクされましたが、37生にとっての朝丘ユミは、やはり岡田可愛でなくてはなりませんね。
で、この可愛ちゃんが、短いユニフォームで、脇腹ちらちらを見せながら撃っていたのが、いなずま落としです。

後ろ向きでぐるぐる手を回して,振り向き様に撃つ。
37生だったら一度はこれでサーブを試みたことがあるはずです。
まぁ、めったに相手のコートに飛んでいかないんですけどね。

あと、黒塗りの范文雀が演じる、ジュン・サンダースとの「X攻撃」、これも意味なくやってみましたねぇ。
もちろん、なんだかわからないまま、あきらめることになるのですが。

一方の「アタックNO1」ですが、さすがにライバル同士というか、こちらも似たような技がでてきます。
X攻撃と同じコンセプトで、もっとパワーアップされた「三位一体の攻撃」。寺堂院高校の八木沢三姉妹ですね。
要するにどちらも複数の人間が同時に飛んで、何処からボールが出てくるのかわからないというわけなんですが、さすがにアニメだけあって「三位一体」の方がものすごいうごきです。一度、鮎原こずえに破られてからは、体操部出身のもう一人の選手を加えて、さらにパワーアップ(確か、三人の前でもう一人が空中回転!!)しました。

前述の"落とし"のネーミングといい、明らかにお互い影響を与えあってますが、どっちがどっちをパクったんでしょうか,ちょっと気になるところではあります。

さて番組も後半になると、どちらもネタが切れてきたというか、必殺技もインフレ状態になってきます。
Vでは,小山ちい子(メガネのどう考えても運動できなさそうなキャラクターでした)が夢で見た,ネットの上をボールが横に転がる技とか、NO1の、ボールが相手の盲点に入って。見えなくなる魔球とか・・・・。
もう、37生も真似ようにも真似られません。
なんでも雑誌連載の方では、もっとすごい技もあったらしいのですが、今となっては検証のしようがないですね。

この必殺技合戦、管理人としては引き分け。
・・・・・(つづく)・・・・・
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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/04/27(木) 09:07:52|
  2. テレビ・ラジオ
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ツッパリ番長を捜せ

突然ですが、番長と呼ばれる人に会ったことはありますか?
わたしはありません。
思えば37生はテレビ、マンガを通して、数多くの番長と接してきましたが、リアルの番長って本当にいたんでしょうか?

虚構の世界にはキラ星のごとく番長がおりました。
名作、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」のような硬派の正統派から、「愛と誠」に多数出演したバイオレンス系、「ど根性ガエル」のゴリライモのようなお笑い系、「巨人の星」のお京さんは、新宿の女番長という肩書きでしたね。

にもかかわらず、私たちの周りに番長はいませんでした。
いや、もちろんちょっと悪い子達はいましたよ。特に37生が小学6年生のあたりから、世の中に巻き起こった「ツッパリブーム」にのって、形だけそっちの世界に行った37生も多いでしょう。

元々は「嗚呼花の応援団」(50/'75年)とか前述の「愛と誠」(48/'73年)なんかが火付け役だったのかなぁ
それと「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」ね。だいたい小学校高学年から、中学生の頃ですね。
で、その頃から、ファッションとしての不良みたいのがでてきたわけです。それがつまり「ツッパリ」ですね。

37生が中学にはいる頃は、みんな微妙にその辺りを意識していて、学ランの丈がどうとか、髪型がどうのなんて、やっていたものです。
中ランとか、洋ラン(花じゃないよ)とか、ボンタンズボンとか、なつかしいなぁ。

まぁ、わたしはといえば、きわめて真面目なもので、タックズボンすらはいてませんでした。
何しろへんなの着てると、「屋上に続く階段の踊り場」に呼び出されちゃうんですね。
これは全国的な決まり事だったようで・・・。

それと決まり文句は「ツッパってんじゃねぇょ」ですね、お前がツッパってんじゃないかと、ひ弱なわたしは思ったもんですが・・・・。

最終的にこのツッパリブーム、「横浜銀蝿」とかの発展系をへて、「なめ猫」(56/'81年)あたりで収束していきます。



パロディーになっちゃうともう流行も終わりですよね。
「ツッパリ」という言葉は「ヤンキー」に取って代わられ、急速に世間から消えていったのでした。

話を戻せば、37生はこの「ツッパリ」君達を知っていても、それらを束ねる「番長」さんには、どうも会ったことがない。
その後現在に至るまで、虚構の番長は様々のところで生きているのに、いったいその原型になった本物は、存在したのか?時々考えるわけです。

元々がファッションですから、抗争事件とか縄張り争いなんてのを、リアルでやるのはおっくうだったんかもしれませんが、どうなんでしょうね?

もちろんこの手のことは、地域性が色濃く反映されているので、あくまで管理人の通った学校で見聞きした限りの話ですから、なかには命がけでやってた人もいたのかもしれません。

ちなみに九州は熊本出身の、同世代の友人によると、
彼の地では、文化祭の前の晩になると、市内のライバル高校が展示を破壊しにやってくるというのですね。
で、運動部の連中が寝ずの番で警備したと、そういうんですけど、本当ですかね?
本当だとすると、九州あたりにはいたのかなぁ・・番長
(それにしても熊本ってのはどういうところだ)

これを読んでいる方で、本物の番長を知っている方、あるいは自分が番長だったという方、ぜひお話を聞かせて下さい。
・・・・・(終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/04/20(木) 12:26:40|
  2. 37生の毎日
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ノストラダムスの日

私たちの世代はみんな知ってることですが、1999年の7月には、空から怒れる大王が降ってくるはずでしたね。
小学生5年の37生達は、自分が40まで生きられないという、恐怖の予言におののきつつも、37才の自分がまったくイメージできずにいたものです。
だいたい予言、占いの類いで、正確に月日まで明示するパターンは少ないので、この「ノストラダムスの大予言」、なかなかインパクトがありました。
明日あさってではないけれど、生きているうちに結果が見られるというのが、ヒットの要因じゃないですかね。

さて事の元凶、五島勉の「ノストラダムスの大予言」が出版されたのが48/'73年、累計250万部の大ベストセラーでありました。
あまりに売れたので、その後もこの五島先生、続編を何冊も出して、その度にいろんな予言の解釈(巨大エルニーニョだの、中国軍のヨーロッパ侵攻だの)をなされたらしいのですが、当然ひとつもあたっとりません。

さて、当時はいわゆる柳の下のドジョウを狙って、他の著者による似たような本も多く出されておりましたね。
わたしが覚えているだけでも、「惑星直列」だの「グランドクロス」なんてのがあって、それぞれに不安感をあおっておりました。

前者は惑星が軌道上で一直線に、後者は地球を中心に十字形に並ぶという、天体現象らしいのですが、その時に互いの惑星の重力だの、十字架の神秘的な力が影響して、天変地異が起きるという、まぁそういうトンでもな話です。(信じる人多いらしいですよ。国立天文台のHPには、そんな天文用語はないと、わざわざ書いてあるくらいで・・・・)

直列はすでに82年に起きてしまったらしいし、クロスにいたっては、いろんなパターンでしょっちゅう起こっているということですが、もちろん、今に至るまで何もないですね。

思えば予言以外にも、37生はよくだまされてまいりました。
特に天体現象に関しては空振りが多かったように思います。
心に残っているのは「ジャコビニ流星雨」、これも5年生の時ですね。
なんと流れ星が雨のように降るのだという、信じられないような話が、それこそ降ってわいたのです。

37生はみんな胸をときめかせましたねぇ。
わたしなんか友達と連れ立って、夜、小学校の校庭の朝礼台の上で、空を見上げていましたもの。

しかし待てど暮らせど流れ星は落ちず、寒いし、眠いし、ひどい目に遭いましたよ。
その後みんなでなかったことにしようとしたのか、この事件は急速に忘れ去られ、わずかに、マンガ「アストロ球団」の「ジャコビニ流星雨打法」に痕跡を残すだけとなりました。
(これが、バットの破片が流れ星のように降りそそぐという、すごい技なんだけれど、それについてはまたべつの機会に)

あとはなんといってもハレー彗星でしょう。
「大人になったら、あれが見られるんだ」と、ずっと思ってきたのに、なんなんだでございましたねぇ。
どうも学者の皆さんには「今回はダメだぁ」とわかっていたのですが、世間の盛り上がりに、言い出せなかったというのが、真相らしいです。
これはもう世代的トラウマといってもいいのではないでしょうか?

次回にはなんでも、大空いっぱいに尾を引くものすごい姿が見られるらしいですよ。
その時37生は100歳手前、同胞よ、意地でも長生きしてやろうぜ。
・・・・・(終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/04/18(火) 08:28:53|
  2. あの日の出来事
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ヤクルトとエルビーと時々ローリー

昔のお母さんは内職をしていたものです。(断言)
うちの母親も時々何やら机の上にいっぱいに広げて、せっせとつくっておりました。
しかし内職というのは利が薄いわけです、箱ひとつ組み立てて3銭とかの世界でしたね。

そこでうちの母親はもうちょっと実入りのいい仕事に転身することになります。
それが「ヤクルトおばさん」です。

「ヤクルト」といえば、37生はもちろん、現在に至るまでかわらない超ロングセラーであります。
あの独特のシルエットのプラスチック容器をみれば、日本中誰でも「ヤクルト」!!っと叫ぶわけです。
けれども「ヤクルトおばさん」の息子からいわせていただければ、皆さん覚えていないようですが、ヤクルトにも瓶入りの時代があったのですよ。

ヤクルトの歴史は古く、開発されたのは昭和10年代のことです。
当初は普及事業という形で、商品に賛同した人々が、各地でバラバラの値段、容器で販売していたのですねぇ。
そして昭和30年にいたってようやく全国統一されたヤクルト本社がたちあがります。

そこで採用された容器は牛乳瓶を例のヤクルトサイズにしたものといえばわかっていただけるでしょうか?
ふたも牛乳と一緒。丸い厚紙で栓をして、透明のビニールがかけてありました。

それが43/'68年、37生が小学校に入る前の年、例の容器にかわるのです。まさに時代の波に乗った画期的モデルチェンジでありました。
一説によると、ヤクルトおばさんには、瓶では少々重量がありすぎるということで、軽量化が図られたのだとか。なかなか女性に優しい会社です。

ちなみに瓶入りの時代は、空き容器を牛乳同様に回収していたわけですが、この切り替え当初は、プラスチック容器を洗って返してくる方もいたんですよ。
昔の日本人は律義でした。

さて、当時ヤクルトのライバルに「エルビー」というブランドがありましたな。
容器の大きさはヤクルトと同様ながら、流線型のフォルムでした。
味もまぁ似たようなもので・・・・。
私の住んでいた地域では、けっこうヤクルトといい勝負をしておりました。
うちはもちろんヤクルト派だったけれど、地域によってはエルビーが強かったようです(愛知の会社です)

その後順調にのびたヤクルトに対して、エルビーの方はすっかり聞かなくなったなと思っていたら、いつの間にかなくなっちゃったみたいです。
今は流行りの黒酢なんかを販売している、マニアックな会社になっています。

ちなみに他にも、「雪印ローリー」や「森永マミー」なんかがありました。こちらも結局「ヤクルト」の牙城を崩すことはできませんでしたね。

思うにやはり、あの容器のユニークな形が最後の決め手だったんじゃないかなぁ。
ヤクルトは、けっこう細かい所に気を使う会社で、たとえば容器にふたをしているフィルム、あれは毎月色を変えていたりしましたね。
それから、空容器を使った工作コンクールだとか、いろいろ企画してました。
(うちにはヤクルトだけは売るほどありましたから、夏休みの工作ではけっこうお世話になりました)
蛇足ながら、むちゃくちゃ弱いながらヤクルトアトムズという球団をもっていたことも大きいかもしれませんね。(45/'70年の勝率2割6分4厘!!)

というわけで、しっかりした経営のヤクルト、まだまだなつかしの一品にはならないようですね。
・・・・・(終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/04/12(水) 08:07:24|
  2. 37生の毎日
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あなたのマジソンバッグは本物か?

個人的な話ですが、管理人が中学校に入る頃、近くの洋品店で制服を作ると、おまけについてきたのが・・・「マジソンバッグ」です。
37生の中学入学が50/'75年、マジソンバッグの登場はなんと43/'68年だというのですからびっくりです。そんなに昔からあったんですねぇ。

まぁおまけについてきたくらいですから、管理人が手にした頃にはブームの峠を過ぎていたというべきでしょう。
調べてみると神戸(さすがあか抜けた所だよね)あたりから火がついて、おもに70年代前半に一世を風靡、10年間で2000万個のベストセラー商品なのだそうです。

わりと有名な話ですが、このバッグにはパチ物、バッタ物、要するに偽物があふれていました。
正規品はACE社の商品、これに対して一番メジャーな?類似品が、鷲のマークにUSAと書かれていた物で、商標以外はまったく同じデザイン、清々しいまでのパクリですね。
くらべてみると本物の方が生地が厚く、高かったわけですが、当然管理人がおまけにもらったのは、偽物の方でした。(まっしょうがないわな)

なんと前述の2000万という数字、ACEが売ったのは1000万だけだったそうで、あとはみんな偽です。当時はそういうことが普通の世の中でしたね、考えてみると・・・。

さすがに37生の頃は、圧倒的な数の前に陳腐なイメージもついてきましたが、手提げのボストンバックに横文字を配するパターンの、草分け商品でした。
ちなみにこれは日本のオリジナルデザインで、MADISON SQUARE GARDEN SPORTSMAN CLUB BOXING WRESLING FOOTBALLというロゴは、ACEの社長が考えたらしいです。
マジソンスクエアーガーデンというのは、実在の体育館施設で、プロレスの聖地なんだそうですよ。
ちなみにオフィシャルのHPを見てみると、ボクシングとレスリングはできても、フットボールは無理みたいですね。バスケットボールの間違いじゃないですかね?

madison

↑これがマジソンスクエアーガーデンだ

さてその後、ナイロン製のバッグはちょっと流行遅れになって、ビニール製の物が幅を利かせるようになります。
で、マジソバッグに取って代わったのが(ビニールのマジソンってのもあったけどね)「UCLA」バッグですな。

なんたってユニバーシティ・オブ・カリフォルニア・ロス・アンゼルスですからねぇ、ごっついロゴがいかにもアメリカの学校って感じだったんですが、多分アメリカ人の目には、とっても野暮なデザインだったんじゃないでしょうか?
これはデザインのバリエーションも多彩だったし、バック以外にも、トレーナーなんかがありました。
こちらのブランドは今でもあるみたいですが、当時とはかわってしまって、ずっと小振りで上品な感じになっています。

今はあんな感じのスポーツバッグってのはあまりはやりませんね。
どちらかといえばマジソンバッグのようなナイロン素材が復権していたりして・・
どちらにせよ、おじさんになった37生がもつにはちと辛いよなぁ。
・・・・・(終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/04/06(木) 10:26:05|
  2. 流行り・アイテム編
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