昭和37年ブログ

昭和37年生の、昭和37年生による、昭和37年生のためのブログ

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懐かしの歌謡曲(小学校・アイドル編2)

(47/'72年)37生の小学校の4年目は、進級早々、4月に発売の大ヒット曲
小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」で幕を開けます。

みんなで歌った♪瀬戸ワンタン、日暮れ天丼・・・例の♪森トンカツ以来の、替え歌の大ヒットでありました。

突然ですが、じつはわたし、この年から数年間が、まさに、歌謡曲がもっとも歌謡曲らしく、アイドルが一番輝いていた時代ではないかと、そう思うのです。

もちろん37生にとっては、一番脳みその柔らかい頃ですから、この頃から中学にかけての4~5年間のヒット曲は、数回聞くと覚えてしまいました。
その気になれば、たいがい今でも歌えるわけで、そういう意味でも、思い入れはひときわなのです。

でも、実際、曲的にも、人材的にも、素晴らしいものが次々世に出た時期なのですよ。
それが証拠にこの年は、以降月代わりで、記念碑的楽曲が繰り出されます。

翌5月には天地真理の代表曲「ひとりじゃないの」がリリース。
さらに6月には、あの伝説の「どうにも止まらない」が発売になります。

それにしても山本リンダはすごかった。
はじめて見た時は、家族中テレビの前で固まったのを覚えています。
「これはいったいなんなんだろう」って言うのが、正直な感想で、
今まで見たこともない、とんでもないものが出て来たと、そう思ったものでした。

rinda.jpg
使用前/使用後・・みたいな

今なら何でもないのだけど、当時のインパクトといったら 、倖田來未なんて目じゃなかったですからね。ちびまる子ちゃんが♪ウダダァと歌っているのも、もっともなわけです。

7月、スター誕生の初代合格者として、森昌子が「せんせい」でデビュー
全国の先生たちを熱くさせます(本当か?)

masako.jpg

これは順当に年齢を重ねたパターン


8月、郷ひろみ「男の子女の子」(これもデビューシングルですね)

郷ひろみもインパクト強かったですねぇ。♪ヘイヘイヘイ、ヘイヘイヘイですよ。
後の♪アチチ、アチに通じるものがありますな。
三つ子の魂百までといったところでしょうか?

hiromi.jpg

この人は・・・うーん


9月、再び天地真理「虹をわたって」
10月、ひと休み。
11月、アグネス・チャン「ひなげしの花」

可愛かったなぁアグネス・チャン。よく麻丘めぐみと対比されてたように思うのですが、わたし的には断然アグネスですね。
今や、お昼のコメンテーターみたいなポジションになっちゃいまして、ちょっと夢破れたおじさんなのですが、当時は、知的で、純真で、長い髪で・・・萌え~でした、ハイ。

agunes.gif
外見の変化は少ないんだけど、イメージ変わりましたねぇ


ところで彼女の一番のヒット曲は48/'73年の「小さな恋の物語」なんですが、「草原の輝き」や「ひなげしの花」、あるいは「星に願いを」「ポケットいっぱいの秘密」なんかは憶えていても、この曲は意外と出てこない人が多いんですね。
♪小さな家並みが まるで夢のよう・・・・ってわたしは歌えるんですが・・・。(なにせ好きだったんで)

12月、美川憲一「さそり座の女」
と、これはまぁご愛嬌。

本当に次から次への一年であったわけです。

この年デビューしたのは
麻丘めぐみ、アグネス・チャン、西城秀樹、郷ひろみ、フィンガー5
前年が野口五郎、翌年が、桜田淳子、山口百恵
沢田研二もソロになってヒットを飛ばします。

うーん、思い出せば出すほど勢いのあった時期ですねぇ。
アイドルが4ヶ月ごとに新曲を出し、それを片っ端からフォローしていったんですから、とても今では考えられません。

それだけ日本人も元気だった、あの頃なのです。
久々にカラオケいっちゃおうかなぁ~。
・・・・・(おわり)・・・・・

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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/12/06(水) 01:04:36|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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懐かしの歌謡曲(小学校・アイドル編1)

37生の小学校時代を彩ったテーマソングの数々。
それは、アニメソングもフォークソングもあるわけだけれど、やっぱり王道は歌謡曲じゃないでしょうか?

時は小学校一年生。
和田アキ子が最初のヒット曲「どしゃぶりの雨の中で」を出します。そして翌年にはあの「笑って許して」をリリース。

なぜ和田アキ子の話から始めたかといえば、彼女曰く、この「笑って許して」が、日本ではじめて客席から、間の手の入った曲だというのですよ。
♪笑ぁって許してっ (アッコぉ)←ってやつね。

そう、37生入学の頃に、歌い手と聴衆の関係性が徐々に変わっていくのですね。
つまりは歌手のアイドル化、もっと言っちゃうと、歌謡曲のお子様化ですな。
もちろんそれまでもアイドル歌手はいたのでしょうけれど、もう一段近くなったというか、
何だろう、神様から、手の届かないまでも人間に降りて来たというか・・。
とりあえず小学生にも親しめる歌手の登場だったわけです。

まぁ、その先駆けが和田アキ子だというのは、何かなぁとも思いますが・・。
↓なんせこんなだったから





もっともこの年(44/'69年)のレコード大賞が、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」で、
翌年が、菅原洋一「今日でお別れ」だったことを考えれば、
本格的なアイドル時代の到来はもう少し先なのです。

ちなみにこの時期のヒット曲は他に
奥村チヨ「恋の奴隷」 (♪悪い時はどうぞぶってねっ・・てすごい詞ですねぇ、今なら大問題だ)
ピーター「夜と朝の間に」
藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」(宇多田ヒカルが、彼女の娘だと知った時にはぶっ飛びましたねぇ)
ちあきなおみ「四つのお願い」
いしだあゆみ「あなたならどうする」(♪泣くの歩くの死んじゃうの・・これも鮮烈)

などなど・・・・・やっぱりアイドルというには、ちと無理がありますね。

さて、明けて46/'71年、37生が小学3年になると、いよいよ本格的にアイドル時代が幕を開けます。

まずは、にしきのあきら「空に太陽がある限り」
ひたすら♪愛してる~ をくりかえすシンプルな歌詞は、37生のハートをわしづかみだったわけです。
加えて、あの野性的なルックス。
彼はその後ヒットに恵まれませんが、芸能人大運動会では、長く常連の位置を保ち続けます。

そして小柳ルミ子「わたしの城下町」
天地真理「水色の恋」
南沙織「17才」

おぉ本物のアイドルだぁ。
ちなみにこの3人「新三人娘」といわれてたらしいですね。(元祖が誰だかよく知らないけど)

天地真理の、「隣の真理ちゃん」「白雪姫」といったキャッチフレーズ、「ドレミ真理ちゃん」(自転車ね)などの、キャラクター商品・・・・まさに彼女はその後のアイドルの原型だったといえましょう。




しかもあの歌唱力・・・あれでアイドルは歌が下手でも可、という流れも出来たのだと・・・まさにアイドルらしいアイドルといえましょう。
(ほーんと下手だったもんね、もっとも「時間ですよ」で後がまに座った浅田美代子に比べれば・・・以下自粛)、でも可愛かったです。


南沙織は、返還前の沖縄出身(正確には鹿児島生まれの沖縄育ち)ということで、日本人なのに、異国ムードを発散するという、不思議な存在でした。
彼女も可愛かった。あの手のエキゾチックなルックスは、彼女から始まるような気もします。




「シンシア」という愛称は、彼女のクリスチャンネーム。吉田拓郎の「シンシア」は彼女に捧げた曲ですね。
個人的には3人の中で一番好きなんですが、篠山紀信氏と結婚したと聞いた時には・・・・でした。


小柳ルミ子は当初清純イメージだったんですよね。
宝塚音楽学校を主席で卒業ということで、歌唱力は断トツでした。
あんなに波瀾万丈の人だとは、この時の37生は思いもよりません。

↓これはちょっと年をとってから





彼女はその後アイドルというより正統派歌手として活動しますし、当初から落ち着いた雰囲気を醸し出していましたから、えっアイドルだったの?という感慨もあります。
なんだかんだいっても、現在もトップスターであり続けているのは、彼女の真の実力なんでしょうね。

この年のヒット曲は他に
尾崎紀世彦「また逢う日まで」(46/'71年レコード大賞)
五木ひろし「よこはま・たそがれ」
森進一「おふくろさん」(みんなでもの真似してましたねぇ)
欧陽菲菲「雨のエアポート」(この人、先日テレビで見ましたけど、ぜんぜん日本語が上達してないの・・なんか清々しくなりました^^)

なんかがあります。

さてさて、この後、37生の小学校生活後半は、怒濤の勢いでアイドル全盛時代へとなだれ込んでいきますが、それはまた次回書きましょう。
・・・・・(つづく)・・・・・

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  1. 2006/11/30(木) 10:00:40|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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懐かしの歌謡曲(小学校・フォーク編)

さて、37生が小学校の頃の日本の音楽シーンといいますと、大きくわけて3つの流れがありました。
すなわち演歌系、フォーク系、歌謡曲系ですね。

で、演歌は今に至るまで、ずーと演歌なんですが、フォーク系と歌謡曲系は、時々シンクロしてたわけです。

当時、基本的にファークの人はテレビに出ないってことになっていたので、37生の目にはあまり触れなかったのですが、フォークっぽい歌謡曲ってのはいっぱいありました。
既に熱狂的なグループサウンズブームは去っていて、フォークも泥臭い反戦歌から、美しいメロディーで聞かせる方向へ流れていきます。
やがてそれは、歌謡曲だかフォークだかわからなくなって、ニューミュージックと呼ばれるようになるのですが、それはまだ先の話。

ここでは、ちょこっと大人びていたフォーク(っぽい歌謡曲)を思い出してみましょう。

まずは古いところで44/'69年、37生の小学校入学の年から

「白いブランコ」    ビリー・バンバン ♪君は憶えて~
「風」         シューベルツ   ♪人は誰もただ一人旅に出ぇて~
「ある日突然」     トワ・エ・モア  ♪あ~る日突然、ふたりだま~るの
「フランシーヌの場合」 新谷のり子    ♪3月30日の日曜日~
「白い色は恋人の色」  ベッツィ&クリス ♪は~なびら~の白い色はぁ~

おー、全部歌えるじゃないか。
何か37生とフォーク、相性いいんじゃないですか?

しかし、これも時代なのか、アーティスト名がみんなカタカナですなぁ^^ベッツィ&クリスなんかもろに外人だし・・・。

唯一日本名で気を吐く新谷のり子にしても、ルックスはぜんぜん日本人でないようで・・・。

SINTANI.jpg

えっこんな人だったんだ


♪フランシーヌの場合は、あまりにーもお馬鹿さん・・・っていう詞は、なかなか印象的でしたよね。
でも、これパリで焼身自殺した女学生の歌なんですよ・・・たしか。


続いて2、3年生の頃のヒット

「戦争を知らない子供たち」  ジローズ  ♪戦争が終ってぇ~
「誰もいない海」    トワ・エ・モア  ♪今は、もう秋。誰もいない海

「花嫁」 はしだのりひことクライマックス ♪は~な~嫁は、夜汽車~に乗って
「あの素晴らしい愛をもう一度」 北山修  ♪いの~ちかけてと、誓った日から~
「虹と雪のバラード」  トワ・エ・モア  ♪ぼ~く~ら~は呼ぶ

あぁ何か遠足の歌集みたいだなぁ、意味もなく清々しい気分になるラインナップです。

毎年ヒットを飛ばしていたトワ・エ・モアってすごかったんですねぇ。

(顔がぜんぜん思い浮かばないのですが・・・↓こんな人たちです)

TOWAE.jpg



で、彼らのヒット曲「虹と雪のバラード」は、札幌オリンピックのテーマソングですね。
これがいい歌なんだ・・・。

♪虹の地平をあゆみ出て
  影たちが近づく 手をとりあって
      町ができる 美しい町が
      あふれる旗、叫び、そして唄
  ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
  あの星たちのあいだに眠っている北の空に
      きみの名を呼ぶ オリンピックと


じつは、トワ・エ・モワ以外にも、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、スクールメイツなんかが歌っていた、競作だったんですねぇ。
もちろんセールスは、トワ・エ・モアの一人勝ちだったらしいのですが、
ピンキラ版、「虹と雪のバラード」なんか、ちょっと聞いてみたかった気もします。

さて、小学校後半。
このあたりになると、記憶もしっかりしているので思い入れもより強くなります。

「結婚しようよ」    吉田拓郎    ♪僕の髪ぃがぁ~
「学生街の喫茶店」   ガロ      ♪きっみとよっく、こっの店に

「心の旅」       チューリップ  ♪あ~だから今夜だけは~
「神田川」 南こうせつとかぐや姫    ♪あなたはも~ぉ忘れたかしら
「夢の中へ」      井上陽水    ♪さがしものは何ですか
「母に捧げるバラード」 海援隊     ♪コラッ鉄矢!

「精霊流し」      グレープ    ♪きょ~年の、あ~なたの、お~もいでが

「ガロ」ってのは3人組の男性グループなんだけど、なんか最後のヒッピーみたいな出で立ちで、いかにも怪しかったのを憶えております。一人女性のようなロングヘアーの方がいて、鮮烈な印象を与えてました。
でも「ガロ」は「我朗」、すなわち、我々は男であるというのが、グループ名の由来なんですよ。
そんなことを知っている37生は、わたしだけかもしれません。

そういえば海援隊も、別の意味で怪しい風貌でした。
今では武田鉄矢の髪もすっかり短くなりましたが、出て来た頃は小学生が見ても、ミョーに汚らしかったものです。



やっぱ怪しいね


男の長髪が流行っていた時代の話です。(何しろ、あのさだまさしや、南こうせつも、ふさふさしてましたもん)

さてさて、拓郎や陽水がかたくなにテレビを拒む中、こうせつや海援隊は出まくってましたが、思えばこのあたりが、フォークの分岐点だったのかもしれません。
まぁしかし、こうせつにしても、おおっぴらに露出するようになるのは、もう少し後なのですが・・・・。

フォークに思い入れのあるのは、37生のなかでも、ちょっとおませさんか、年長の兄姉に影響された人が多いかもしれませんね。
37生全体がもっとベタにはまった、いわゆる「歌謡曲」については、次回に書いてみます。

・・・・・(つづく)・・・・・

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  1. 2006/11/25(土) 08:06:42|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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懐かしの歌謡曲(小学校以前)

歌は世につれ、世は歌につれ。
こんにちは、玉置宏ではなく、管理人のひこてるです。

えーと皆さん、唐突ですが最初に覚えた歌謡曲って何ですか?
生まれながらのテレビっ子である37生は、物心つく前から、数々の歌謡曲にさらされて育ってまいりました。当然数多くの楽曲をものにしていたわけです。

しかし「はじめての」というと、難しいですね。
時代は、ピンクレディーの登場するはるかに昔。
「歌謡曲」は、まだまだ大人向けのものが多く、ちょっと遠い世界でした。
愛やら恋やらに夢中になるのは、もっと先のことです。

もちろん歌自体は幼稚園に入る前に、なにか口ずさんでいたはずなんですよ。
ただし、♪ガボテン、ガボッテンガボッテンの「ガボテン島」だの、♪バンババンボバ、ババンババンボバの「狼少年ケン」といった、マンガの主題歌。
あるいは「おはよう子供ショー」の「ロバ君の歌」(♪そんでもってカッコいいねぇ・・・)だとか、まぁそういうものがメインでした。

それでも、ませている37生のこと、4、5歳の時には何かしらの歌謡曲を覚えていたはずです。
記憶が定かでないのですが、いろいろ調べてみて、37生がリアルタイムで聞いて覚えた歌謡曲を探ってみると、

例えば37生4歳の時(41'/66年)は

「バラが咲いた」 マイク真木
「こまっちゃうナ」 山本リンダ
「思い出の渚」 ザ・ワイルド・ワンズ
「ラブユー東京」 黒沢明とロス・プリモス
「お嫁においで」 加山雄三

などなど名曲の数々がリリースされております。

うん、♪こまっちゃーうなーぁっていうフレーズは歌った覚えがあるぞ。
「バラが咲いた」は、簡単な歌詞だったから、すぐに覚えられた気もするし
♪らぶゆー、らぁぶゆーなんて意味もわからず叫んでいたような・・・。

しかしリアルタイムかというと自信がないのですよ。
「思い出の渚」なんか、はるかに後に「ハンダース」の物まねで覚えたし・・・。

つづく5歳の年(42/'67年)は

「ブルー・シャトー」 ジャッキー吉川とブルーコメッツ
「小指の思い出」 伊東ゆかり
「世界は二人のために」 佐良直美
「真っ赤な太陽」 美空ひばり

おぉ、このあたりになると、確かにリアルタイムで聞いた記憶があるぞ。
♪森トンカツの、替え歌はあまりに有名ですし
♪あなたが噛んだ小指がぁ痛い・・・大人は何で小指を噛むのかと、いや、今でもよくわかりませんがね・・とにかく鮮烈なイメージだった。
「真っ赤な太陽」なんか美空ひばりがミニスカートはいてましたもん。いや本当に。(だから曲を覚えたかというと、まぁわからんのですが)
hibari.jpg



で、幼稚園年長だった翌43/'68年

「グット・ナイト・ベイビー」 キングトーンズ
「ブルー・ライト・ヨコハマ」 いしだあゆみ
「伊勢崎町ブルース」 青江三奈

このへんは、全部歌えないまでも、印象的なフレーズが確かに心に残ってますね。
♪グンナーイ、グナーイベービーはぜったい歌ってました、♪涙こらえて、の先はわからなかったけど・・。
♪街の灯りがぁ、と鼻声のいしだあゆみ、歌手だったんですねぇ。
「伊勢崎町ブルース」にいたっては喘ぎ声しか覚えてません・・・^^

そして同じ年に間違えなく最初から最後までそらで歌えた曲が登場します。

「恋の季節」 ピンキーとキラーズ
「三百六十五歩のマーチ」 水前寺清子

はい、歌っていたでしょ♪わっすれられないのぉ・・・・と♪人生はワンツーパンチ

特にピンキラは、斬新なパンタロンルックで、お子様アピールという点では、絶大なものがありましたね。



あと、一日一歩で、三歩進んで二歩下がると、結局三日で一歩しか進まんじゃないかと、そんなこと思いませんでした?・・わたしだけですか。

さて、わたし個人としては最初に覚えた歌謡曲は・・・・・。
「帰って来たヨッパライ」 ザ・フォーク・クルセダーズ (42/'67年)なんですね。
コミックソングの先駆けみたいな曲でしたが、
当時、親父と出かけた食堂にジュークボックスがありまして、3回連続でこの曲をかけさせて、ひんしゅくを買った記憶があります。

早送りのボーカル、神様の台詞に、ラストの読経まで、実に時代の先端をいくユニークな曲であったと思いますねぇ。
♪天国よいとこ一度はおいで、酒は旨いしネェちゃんはきれいだ・・・
今でも全部歌えます。



もちろん皆さんそれぞれ最初に覚えた歌謡曲は違うと思いますが、ちょこっと思い出してみるのも楽しいんじゃないでしょうか。
・・・・・(つづく)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/11/16(木) 10:01:36|
  2. アイドルとか歌謡曲とか
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普通の女の子に戻りたい

高校の入学後の最初のHR
お約束の自己紹介の時に、一人の少年がいいました。
「僕はキャンディーズのファンです。スーちゃんいいですねぇ。」

どっと上がる歓声。
緊張気味のクラスの雰囲気は、これで一気に緩んだわけですが、
実はこの時、同時に男子生徒の中では、隠されていた2大勢力の存在が明らかになったのでした。

そう、すなわちそれが、スーちゃん派とランちゃん派の対立であります。

キャンディーズがコンサート中に突如引退を表明したのは、その前年の52/'77年、
37生は、受験に必死な中三の夏でした。
その時の台詞「私たち、普通の女の子に戻りたい」はあまりにも有名ですね。
舞台では「引退宣言」だったのが、いつの間にか「解散宣言」になり、解散時期もずるずる9ヶ月も延びてしまったことに、何やら大人の世界の圧力を感じないでもありませんでしたが、まぁ衝撃的な出来事でありました。

で、本当に解散したのが53'/78年の4月4日。
つまりこの自己紹介の日の一週間ほど前のことです。
37生男子の心の中には、いまだキャンディーズは生々しく息づいていたのでした。

HRの後、クラスの男子はひとしきり自分かどっちの派閥に属しているのかで盛り上がり、結束を深めたわけですが、
ほんわかあったか和み系のスーちゃんと、セクシーお姉さん的雰囲気のランちゃん,どちらも捨てがたいものがありました。

そして20数人の男子の中で、わずかに2人、かたくななミキちゃん派がいたことも書いておかねばなりますまい、
その一人が私だったってことも・・・

スレンダーなミキちゃん,色っぽかったんだけどなぁ・・・・

さて、キャンディーズのデビューは48/'73年
37生はまだ小5です。(ちなみに彼女らは37生より6~8学年上ですね)
デビューから2年近くはまったく売れず、ほとんどの37生がその存在を認識するのは50/'75年の「年下の男の子」からでしょう。

アイドルの低年齢化の進む中、20過ぎのまさにお姉さん。良いところをついていましたね。
その後3年間、37生の中学時代を、出す曲みんなヒットさせつつ駆け抜けていくのです。

売れなかった頃の4曲は、スーちゃんがメインボーカル。その後はランちゃん、そして引退が決まった後に一曲だけ(「わな」)ミキちゃんがボーカルをとりました。「わな」がミョーに暗い歌だったのが、このグループにおける、ミキちゃんの立場を象徴しているようで、ちょっと悲しかったですな。
ラストソングの「微笑み返し」では、それまでのヒット曲のタイトルを、歌詞中に織り込むという、素敵なお遊びもありましたっけ。

その後は皆さんもご存知の通り、田中好子は良い女優になりました。伊藤蘭は最近あまり見かけませんが、後に夫になる水谷豊と組んでドラマをやっていた頃は良かったですね。藤村美樹は地味でした・・・今は完全に引退しております。



おじさんになった、年下の男の子たちは、時々彼女たちと、満員の後楽園での引退コンサートを思い出すのです。

・・・・・(終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/06/02(金) 08:26:31|
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