昭和37年ブログ

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タミヤ1/35の誘惑

プラモデルに目覚めた37生は、それぞれ専門分野と言いますか、自分のつくる物の方向性を定めていくことになります。
例えば、静岡のプラモデル会社4社が分担して出していた、ウォーターラインシリーズとかね。(全部つくると連合艦隊が完成するのだ)
つくる喜びに集める喜びがプラスされるんですねぇ。もう、男の子の心をつかみまくりなわけです。

さて、当時一番人気があった、模型会社のシリーズものといえば、それはもう、タミヤ模型の1/35、ミニタリーミニチュアシリーズでしょう。
↑いや、異論はあるかもしれませんが、何たってわたしがはまってたんですから、そういうことにしておいて下さい。

これは第2次大戦中の米英独軍を中心にした、軍事車両と兵隊の模型シリーズでした。
「ドイツ3号戦車」「キューベルワーゲン」「ケッテンクラート」「88ミリ砲」・・・なんてね。次から次に名前が出てくるばかりではなく、空で絵に描けますもの。そののめり込みようが分かっていただけると思います。




こんなのとか



こんなのとかね

このシリーズの新しかったのは、兵士の人形を多数発売したことで、車両と組み合わせた「ジオラマ」(日本語て言うと情景ですな。まぁ箱庭のようなものだと思って下さい)を提唱したことでしょう。
タミヤ模型というのは、当時模型の金型の分野では、おそらく世界一だった企業で、1/35というサイズにもかかわらず(人間が約5cmの大きさでした)、非常に細かく、リアルな製品を提供していました。
で、それらをただ作るだけではなく、風景の中で組み合わせて、物語性のある展示を仕掛けたのですね。

さらに、そんな「ジオラマ」に欠かせない、地面だの建物だのを作るテクニックや、さまざまの情報を、「タミヤニュース」
(たしか価格は50円だったな)という小冊子で啓蒙したり、
半年に一度くらいは「パチッ特集」という、ユーザーが作った「ジオラマ」写真集まで出して、大いにブームをあおったのでした。

これがかっこ良かったんだよなぁ。
こずかいをためては、「今度はイタリアの戦車が出るらしいから、アフリカ戦線のジオラマを作ってみよう」とか、「ロシア戦車の無骨さもいいけど、ドイツ戦車のメカニック感も捨てがたい」なんて、行きつけの模型店で悩んでいたものです。(どういう小学生だ)

やがて、小学校も5、6年になると、ただ組み立てるだけではなく、塗装をしたり、改造を施したりと、よりディープな世界にどっぷり沈んでいく37生も出てきます。(だからそれは自分だろうが・・・・)
実際その頃のわたしは、何を考えたか、タミヤ模型に手紙を書いて、新製品についての提案などを行っておりまして、信じられないことに、後日まさにその製品が発売になるという、栄誉に浴したりしています。
もしかしたら、将来は模型屋さんになるかもしれないなんて、ほんの少しは考えていたくらいでしたね。

こうして模型世界の闇に立ち入った一部の37生は、やがて鉄ちゃんになるもの、人形改造が高じて、フィギュアの世界に入るもの、はたまたガンダム系に進むもの、みんな立派なオタクになっていくのでした・・・。
・・・・・(終わり)・・・・・
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テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/02/27(月) 18:00:22|
  2. 流行り・趣味編
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プラモデルに目覚める頃

管理人は男の子なので、女の子の間の流行りとか、遊びとかにはちょっと疎いわけです。
37生の女の子達がはまっていたのって何なんだろう? 「リリアン」とか?

で今回取り上げるのも、究極の男の子の趣味。プラモデル作りであります。
多分途中から女性の方はまったくついてこられなくなると思いますが、ご勘弁を・・。

37生が初めてプラモデルを作ったのはいくつの時でしょうか?
わたしの場合小学校の4年くらいかなと思いますけど、だいたいその頃一番安いキッドが100円でした。
今から思うと異常に格安なのですが、100円といっても、当時の物価水準からすれば結構なもので、実際のところは月に1つ買うのがやっとでしたね。
まぁおこづかいに余裕のある、ちょっとお兄さんの趣味だったわけです。

その頃100円で買えるのは、戦闘機の模型がメインで、定番の「零戦」とか、「紫電改」とか、「ヘルキャット」とか、そんなものを作っておりました。(女の子はそろそろ分からないでしょ^^;)
構造はきわめてシンプル。
二つ割れの胴体をくっつけて、これまた二つにスライスされている、左右の主翼を組み立てて、差し込む。あとは尾翼とタイヤをつけて、パイロットを乗せ、風防をくっつける。
子供でも30分でできました。(あっプロペラがついてないぞ)

でもこれ、きれいに作るのはけっこう難しかったですねぇ。
最近のお子様用のプラモデルは、全部はめ込み式らしいのですが、37生の頃は、あの体に悪いトルエン入りのセメダインでしっかり固定する仕様です。
このチューブ入りのセメダインが、気をつけないとはみ出して、糸を引くわけです、しまったと思って、手で拭おうものなら、白っぽい痕になって、取り返しのつかないダメージを負うのでした。

それからデカール!
日の丸だの認識番号だののシールですね。これをきれいに張るのが至難の業でした。
水につけておくと、シールの部分が台紙からはがれて浮いてくるのです、これを上手にすくいとって機体に張るのですが、すぐ破れるし、下手に折り曲げてくっついてしまったりすると、まず修復は不可能でした。
水に入れるタイミングも難しくて、つけすぎると浮いてきた文字があちこちに泳ぎ出し、これまた収拾がつかなくなったものです。

というわけで、十字マークが片翼だけの「メッサーシュミット」とか、左右で認識番号の違う「スピットファイアー」なんてのをいくつも作りました。
まぁ子供でしたからね、最初のうちはとりあえず飛行機が完成すればそれでよかったんです。

あとは、まがりなりにも仕上がった飛行機を片手に、日がな「ブゥーン」とかいいながら、空想の世界に遊ぶわけですな。
当時の37生には、当然のことながら、第二次大戦は、どことどこが組んだかなんて知識はありませんから、(日米が敵だったくらいは知っていたけど) 「零戦」と「フォッケウルフ」の空中戦など、日常茶飯事なのでした。
(あっ「フォッケウルフ」てのは魚民のメニューではなくて、ドイツの戦闘機ね)

やがてそんな37生のうち何人かは、単純な空中戦では物足りなくなっていくのです。




・・・・・(つづく)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/02/25(土) 10:58:42|
  2. 流行り・趣味編
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BCL 2

懐かしの趣味BCLの続きです。
当時の日本語放送を行っていた国は十数カ国ありましたが、その中で印象の強いものを思い出すまま書いてみましょう。(局名は当時)

「ラジオ・オーストラリア」
当時BCLを始めると、まずここから聞き始めるのがポピュラーでした。笑いカワセミの鳴き声で始まるオープニングが印象的でしたね。内容も最もくだけた感じで、親しみやすかった局でした。
わたしは半年間ここに受信報告書を送り続けて、リスナーズクラブの会員バッチを手に入れたものです。(そこで燃え尽きたのだけれど)

「平壌朝鮮中央放送局」
「モスクワ放送」「北京放送」とならんで、社会主義御三家。どこも中波並によく聞こえました。(もっとも、どうも内容が硬く、小学生には人気がありませんでしたが)
朝鮮中央放送は、当時も今と同様、大仰なイントネーションでやっていまして、大変印象に深いものでした。
固有名詞が全部朝鮮語なので「南のカイライパクチョンヒに対し偉大なシュリョウキムイルソン同志は・・・・」という調子で、まったく???でした。
それでいて、歌の時間なんていうのがありまして、「音符を書き取ってください。ド、ソ、ミ、ミ・・・・・」なんて大真面目に流すので、もっぱらわたしには、マニアックな物まねの対象でしたね。

「アンデスの声」
エクアドルという小国からの放送で、子供心に異色な存在でした。地球の裏側という響きにぐっときたものです。しかしここもよく聞こえたなぁ。
南米からはもう一つ「RAE」というアルゼンチンの放送があったのですが、こちらはジャミング(妨害電波)の影響でまったく聞こえず、幻の放送でした。
どなたか聞いた方いらっしゃいますか?

「ベトナムの声」
独特の訛りのあるアナウンスが印象的、「こちらはぺとなむのこえほうそうきょくです」と聞こえましたね。
当時はベトナム戦争中で、今だったらもっと興味深く聞けたのでしょうが・・・。
わたしはベトナム戦争が終わった直後、手書きで国名の部分を書き換えたベリカード(といっても、ここのは文字だけの書類みたいなものでしたが)をもっていました。

「自由中国の声」
ここでいう中国は中華民国の方。
当時は韓国と北朝鮮、中国と台湾がお互いに放送で非難合戦を繰り広げていました。
小学生の身でそんなことをちょっと感じられたのが、ここの放送でした。
大陸に対して立場の弱い台湾の方が、より過激だったのですね。「大陸の若者よ、君たちは赤旗の下に踊らされているのだ」なんてよく流してました。

「ドイッチェヴェレ」
西ドイツ、ケルンからの放送。考えてみれば、政治的に対立する相手のある国はたいがい放送をしてましたね。でも東ドイツの局はなかった。
内容はきわめて穏当だったと思います。局名はドイツの波って意味なのでした。

「BBC」
ビック・ベンの鐘の音で始まるのですが、なんでもそれはリアルタイムの音なので、時々街の音、例えば犬の鳴き声なんかが聞こえるのだと、雑誌なんかには書いてありました。
でもあの雑音の中、本当にそんなもの聞こえたのかしらん?

他に「バチカン放送」「ラジオ韓国」・・・あとなにがあったかなぁ
今ではほとんどの局が局名を変えたり、日本語放送を中止したりしています。
調べたら当時から局名もそのままで放送しているのは「ベトナムの声」だけなのですね、ヨーロッパからの放送は旧「モスクワ放送」、今の「ロシアの声」だけになってます。

この記事を読んで、知ってる!と思った37生は、押し入れから短波ラジオを引っぱり出してみましょう。
・・・・・(BCL終わり)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/02/01(水) 07:38:56|
  2. 流行り・趣味編
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BCL

1970年代、正確には48/'73年くらいからにわかにBCLブームというのがわき起こります。
37生の男の子たちは、たちまちこれに魅了されてしまい、一大ムーブメントとなりました。

BCLはビー・シー・エルと発音します。Broadcasting Listeningの略で、これだと「放送聴き」ですけれど、要は海外の短波ラジオ放送を聞くことで、ついでに相手に受信報告書を送って、お返しに「ベリカード」という受信確認証をもらう。まぁこれだけのことです。
じつはこの趣味、極めると、いい大人が南米辺りの小さな放送局を聞き当てるのに、血眼になって、庭にアンテナをたてたり、高額の受信機を購入したりする、じつに奥の深いものなのです。
しかし当時の37生は小学高学年。語学力も資金力も皆無なわけで、せいぜいが当時十数局あった、短波による海外の日本語放送を聞くことで、精一杯ではありました。

しかし、今考えるとBCLは、かっこいい受信機をいじるアイテム的喜び、必至で放送局を探り当てるゲーム的喜び、そしてベリカードを集めるコレクター的喜び、男の子の心をつかむすべてを兼ね備えた、最強の趣味でした。

まずは受信機。
BCLをやりたくても、短波ラジオがなければ話になりません。
48/'73年にソニーがBCL用のラジオとして、「スカイセンサー5800」という機種を発売してブームに火をつけるのですが、じつに100万台売れたといいます。(わたしももってました)
これは何がよかったって、デザインがかっこ良かったですねぇ。いかにも通信機みたいなブラックボディーに心ふるえたものです。
他にも松下のクーガシリーズなどがあって、性能を競っていました。
しかし、スカイセンサーの値段が当時20800円。結構な額で、小学生に手の出るものではなく、やはり親頼みでした。
クリスマスだの誕生日だのにかこつけて、37生は必至におねだりしたわけですね。
日本が豊かになり、そこそこ余裕も出てきた時代、これは37生にとって、金をかけてやる初めての趣味でもあったのです。

で、ラジオを買ったら「ラ製」(ラジオの製作)「初ラ」(初歩のラジオ)なんて雑誌を買って、アンテナを自作したり、チューニングのテクニックを学んだりします。
太陽黒点の活動が短波の受信に影響するとか、天気と電波状況には関係がないとか、まぁ、いろいろ知識を入れるのですね。
やがて上級機種のラジオには、周波数直読機能というのがついて、手探りでチューニングする必要がなくなるのですが、あのちょっとてでもダイヤルを動かしすぎると聞こえなくなってしまうドキドキ感は、まさにゲーム感覚でした。

最後がベリカードです。
これは、受信証明書といっても、ほとんどが絵はがきのようなもので、そのお国柄を反映した絵柄が、なかなか美しかった。
今と違って海外というものがまだまだ遠かった時代、生まれて初めての国際郵便を、このBCLを通じて経験した37生は多いはずです。(まだ、郵便局の受付で、船便ですか、航空便ですかと聞かれる時代だったなぁ)
ポストに初めての外国からの手紙を見つけた時の喜び、今も忘れられません。

いささかマニアックになりますが、この話はもう一回続きます。
・・・・・(つづく)・・・・・

テーマ:昭和文化 - ジャンル:サブカル

  1. 2006/01/31(火) 08:24:26|
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